2011年9月16日金曜日

Melancholia/メランコリア

ラース・フォン・トリアーは独特の映像感覚を持つ異才。ダンサー・イン・ザ・ダークでビョークに演技をさせ、ニコール・キッドマンの才能を最大限に開花させたドッグ・ヴィル。彼の作品は後悔されると必ず見に行っている、特異の世界観に目を離せない数少ない監督。

さてこのメランコリア。冒頭のスローな詩的映像からイメージの喚起力:鳥が空から落ち、馬が倒れるー惑星メランコリアが地球に向かっており、衝突の日=最期の日が迫っている事の暗示である。これがつまり映画の核で有る訳だが、このオープニングの映像テクニックは前作アンチクリストで使った手法と同じ。しかし話を語る、と言った点で履かれは旨くないと思う。話がどの方に行くのか分からず、又分かったとしても何故、という質問に絡まれ、答えが出ないく、2時間も自問しているうちにやっとこの悪夢から解放される。で、この映画を通して一体何を伝えたかったのか?恐らく何も無いでしょう。
彼は新しい事にチャレンジしてみる人を挑発するのが好きな人。でもこの手は古くなりつつある。ちょっと出だしの映像が良いにしても、中身が無いと観客を引き込む事はできない。もう貴方のこの手には引っかから無いでしょう。間違いなくこれが彼の作品を見る最後になるでしょう。ナタリー・ポートマンの様な感情を押しすぎるシャーロット・ゲンズブールは見るに耐えるし、(顔は生意気シャーロットから全く変わっていないけど、年故乾燥し過ぎで垂れた肌は見ていて全く美しくない)、ここでラースにさようなら、を言うしか無い。アンチクリストも最期まで見るか迷って監督へのリスペクト故最期まで映画館に残ったけど、私の限界もメランコリアで達してしまった。










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